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私は学部の卒業である。
母校の教務室を訪れ、本を書きたいと思っていると話したら、私の大学時代からの古参の事務官が即座に「学位」を取りなさいと薦められた。1992年の1月である。
センサ分野で回路も解る母校の教授は数少ない。東京から戻ると、すぐに、私の人生の師で、その教授の指導の仲介をお願いした。2月に教授室で面談を受ける。
5月連休前に博士論文の草稿を持ってくることが出来れば、引き受けていただけるとの条件がついた。残る日数は約60日余り。A4約180P程度の仕上がりになるので、1日平均3pを自宅で執筆することになる。書くことが出来ない日や、読み返す時間も必要なので、書ける日には5ページ、1万字相当を書き進まなければならない。
手持ちの素材を調べなおし、全体構成を3日で決める。社内審査も済ませる必要がある。
図の清書は初めから諦めた。スペースの確保と手書き図だけを作成した。
1991年に技術士を取得していたが、そのときの経験が役に立つ。当時の技術士試験は約6時間で約13000字を書く論述試験だ。この速度で技術文章を書くには、起承転結を考えながら一気に書き進めるだけの時間しかない。
ひたすら書く。ひたすら論理的破綻の無いように書く。あっという間に2ヶ月が経過し、5月連休まえに指導教官のもとに草稿を持ち込む。そのときも私の人生の師は付き添ってくれた。完成度が低い草稿であったが、その教授は指導を引受けてくれた。
同時に、フルペーパを1件投稿。トップネームのペーパーの数を何とかあと1件増やすためだ。
指導教授の下、学位論文の推敲が進む。過去の関係書類の準備。学部卒なのでドイツ語文献試験もある。
その間にも、目的である実務的視点から見た回路教本の授業ノートも作成を進める。1993..1月肺炎を起こして入院。
退院した当日、審査日程の連絡が入る。ドイツ語論文のabstractの作成、OHPの準備、論文の要約の作成と慌しい日が過ぎる。各研究所の友人からも種々の情報提供を受ける。
Photo_32 学会投稿の採択が決まる。
3/18日学位授与。
3/29日学位記伝達式。例外的であったが、妻を同席させて学位記の授与を受ける。
論文名「工業用変換器の信号処理とインテリジェント化に関する研究」
このときの1年間、多くの先生、昔の仲間、研究所の博士の方々に本当に支援を戴いた。
一度きりの学位取得のチャンスであった。感謝。感謝。また感謝。ダルマに目を入れる。大願成就。
論文博士の誕生には、コースDr.とは異なるそれぞれの人生の軌跡がある。
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アマサイ様、お久し振りです。
論文博士への道は平坦とはいえません。
大学により、必要なフルペーパーの数も異なります。ご健闘を祈念します。
from アナログエンジニア
投稿: 5513 | 2007年1月22日 (月) 17時12分
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私もいずれ博士号を取得したと思っています。分野は思案中。論文博士は減らす⇒なくす方向に行っているそうです。社会人学徒には厳しい状況ですが、国際競争力の観点からは、博士育成過程?を経た方がいいのでしょう。
気持ちさえ萎えなければ、いつでも勉強できると思っています。
投稿: アマサイ | 2007年1月22日 (月) 09時58分